自分記録帖

ただ私が私でいたい。自分を生きると決めた私の記録帖です。

『父と娘の往復書簡』松本幸四郎 松たか子

私には父がいない。

 

もちろんこの世に送り出されたからには、存在はする。

両親が離婚して北海道に渡ってきたのが中二になる前の春休み

最後に会ったのは、高校生の頃

それ以来会っていない上に

つい先日まで行方不明だった父。

 

小さい頃は父に懐いてもいて

愛されて育ったと思う

愛情も、なくはないという程度にはある。

 

物心ついた頃には、父に期待しないことを覚えてしまっていたので

「いない」のが「困らない」

※カウンセリングを受けたことで「困らないのが問題」と分かった

おかげで「父のいる(いわゆる)フツー家族」というもののイメージが高くなりすぎちゃったように思う。

 

保険屋さんをした1年

ごくフツーの家族と間近に関わり

普通は立ち入らないことをお話するのは

得難い貴重な経験でした

 

こんな感じなんだー

こんなんでいいんだ!

良い意味で力が抜けたというかなんというか

目からウロコが何枚も落ちました。

「家族」や「父娘」関係を

すごーく高尚なものと勘違いしてたみたい。

それぞれ「違ってあたりまえ」なのは

知っていたけど

ちっとも!解っていなかった。

 

「父と娘の往復書簡」

自身の父娘のデータが少ないので興味があって手に取りました

 

芸能一家だからこそ

こうした往復書簡をすることにも

世にでることにもなったのだろうけど

 

おそらくありふれたどこにでもある

けれどどれもただ一つの

代わりのきかない父娘のやり取りだろうという想像のもとに読み

その通りであったことに、安心した。

 

その下敷きになっているものが「俳優」という何代も続く職人であることが、この本の内容を形作っているけれど

それも「特別」なことのようで特別ではなく

それが「会社経営」ならその父娘の1冊が

それが「サラリーマン」ならその父娘の1冊があるだけのこと。

 

そういう、あるひとつの父娘の書簡を覗き見させていただく。

そんな一冊でした。

 

娘、松たか子さんの

『上手くなるために唄を習うのではなく

いい唄が唄える声を鍛えるために習う』という一文に、共感。

 

宮尾登美子さんからの言葉に

『思ったように生きなさい。どんなに辛い道のりであったとしても、思ったように生きなさいね』

に涙しそうになった。

『思うように生きる』それは、我儘とか、好き勝手とは違う。

こういう言葉を得られることは、きっと人生の財産だと思う。

 

「正しさ」でも書いたけれど

正しく生きるというのは

どこまで自分を信じて行けるかということなのだと思う

 

この言葉に全く関連のないところで

父、松本幸四郎さんが

『名著や名言は数限りなくあるが、大切なのは自分の心の声−魂の声だ。それに耳を傾けることを忘れなければ人はまっとうに生きられると僕は信じている』

 

これは、宮尾登美子のいう『思うように』生きることと同じだと思うの。

『生きていてこんなに困難なことはない』

 

本当に

自分の心に魂の声に正しく

思うように生きることは、困難だ。

 

けれど

心の声を聴ける耳、感じる感性、それを行動で現すことを諦めない

それが、私の「まっとう」であり

「私の」幸せにつながると信じます。

さしあたって…今は迷子です。

f:id:priere-vie:20160809143144j:image

父娘の往復書簡という形をとったエッセイ

我が家では「そういうもの」というような

比べない幸せが爽やかで心地よいです。

 

父と娘の往復書簡

父と娘の往復書簡

 

 

PRIERE