自分記録帖

ただ私が私でいたい。自分を生きると決めた私の記録帖です。

「父」=「男性」「男性」≠「父」

カウンセリングを受けて
やっと「男性」を見ることができ始めました。
 
「父」は「男性」ではあるけれど
「男性」は「父」ではない。
 
こんなに簡単なことがわからなかったのね。
 
父と再び会うことは考えられませんが
父が好きだったという感情を認めてあげられたのは本当によかった。
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「憐れ」な父があまりに可哀想で
可哀想 と思うのが余計に「憐れ」で (ループ)
 
ココを端に、私自身 人から可哀想なんて思われるなんてもってのほか
この上ない屈辱!くらいに思ってました。
 
だから私は可哀想じゃないし
誰のことも可哀想と思わない!
 
可哀想と思えない私って冷たいのかなと思いつつ
可哀想と思わないことが私にとっては優しさだったのです。
 
カウンセリングを受けて
そんな捻れたナニカが解けたらしく
 
「憐れ」の拘りが消え
慈しみと労りの気持ちで可哀想と思います。
 
誰を?
 
弱くて不器用で色々下手くそなお父さん。
 
娘は父から愛されていましたが
父を尊敬できない娘は
その愛を受けることを拒否してきました
 
憐れな父を認めることは
自分も憐れと認めることになるからです。
それは私を、とても惨めな気持ちにさせるから。
 
けれど本当は
娘は父が好きでした。
だから父を助けたかった。
   (らしい)
   (コドモの私ができる精いっぱいで)
   (結果、家族として離れることになっても)
   (つまり、母に 父との離婚を提案)
まさか距離時間共にこれほど離れることになるとは思ってなかったけど。
 
 
カウンセリングを受けるまで
本心から父を必要と思ってなかった私
 
※暴言前に言い訳を
男女区別なく「人」として認識しているので
人として尊敬する「男性」はたくさんいらっしゃいます。
なので余計にこんがらがった。
 
※ここから暴言入ります
これが「男」となれば話は別で
「男」は「男」であって「人」ではなく
極端にいえば「男」には感情はないとさえ思ってた(>_<)
 
「男(父)」に感情があると都合が悪かったのです。
「男性」は「父」ではないのに。
 
 
娘に尊敬されない父
父を敬えない私
可哀想だったな。
 
父を尊敬できなくても
父を好きと認めることができました。
そうしたら
「男性」をちゃんと見ることができるようになりました。
 
私を愛しんでくれる男性の感情を(主観)
素直に受け取れるようになり
 
私の個性を無視した視線や言動をする男性(主観)から
傷付かないよう距離をとったり
No.を言ったり怒ったりするようになりました。
それももうほとんど感じません。
 
まだまだ実験中なので
うっかり「男性」でかすり傷を負ったりしますが
その傷に塗り薬塗って癒してくれるのも「男性」なのよね。
 
 
蛇足ですが
優秀な男子脳に育っている甥っ子には素直な感情や素敵な感性が備わっていて
それらが育まれているのを見るにつれ
いちいち目からウロコが落ちるので
男のコが男に変わることが不可解でした。

彼のおかげで学んだこと解れた心は数知れず。
甥と弟父子を見られることも
ありがたいと思うのです。
PRIERE