自分記録帖

自分に戻る、自分を生きると決めた私の記録帖です。

母 ≠ 私 母=母 私=私

母から救援物資が届きました

 

大抵、エスパーかと思うタイミングで届く

そして、思いがけないものが入っていたりするから

箱をあけながら笑ってしまう。

 

箱いっぱいに隙間なく詰められた野菜、ティッシュ、洗剤 ひとつづつ出していたら

泣けました。

号泣〜

思っていたより、どうやら参っていたらしい私。

やっぱり母はエスパーかも。

 

そして、これまで取り組んできた課題

「母の愛」を受け取った瞬間でもあったように思います。やっと!

 

 

ゲーリー・チャップマンというアメリカの結婚カウンセラーの研究(?)による

愛を伝える(受け取る)タイプ分類というのがあります

愛情を愛情と認識して受け取るには、それぞれのタイプで示されることが重要。

そんな内容

愛を伝える5つの方法

愛を伝える5つの方法

 

・(肯定的な)言葉
 相手が嬉しくなるようなポジティブな言葉をかけられることで愛情を感じる
 愛を表現する感謝や励まし、褒めるなどの肯定的な言葉で愛情を表現する

・一緒に過ごす上質な時間
 一緒に上質な時間を過ごすこと。相手に注意を注ぎ、同じ時間を共有することで愛情を感じる
 一緒にいるからといって、携帯やTVなどに注意がいっている状態はクオリティ・タイムとはいえない

・贈り物
 プレゼントをする、されることで、愛を感じる
 高価なものである必要はなく、ちょっとしたお土産や手紙や花なども喜ぶ

・サービス
 相手を喜ばせたいと願い、相手のために何かをしてあげる行為そのものが愛情表現
 このタイプの人は口下手な人が多く、言葉で伝えるのが苦手な人が多いよう

・ふれあい
 身体的なタッチで、愛を表現
 相手の体に触れることは、相手の存在を肯定する意味を持つ
 友達でも家族でもボディタッチが多い人は「ぬくもり」で愛を伝え、感じる

 

素直に愛情表現「できる」かどうかが問題の一つかとは思うんだけどね。

蓋をされたり我慢したりで抑圧されてたらできるものもできなくなっているはずだし

何をしてもらっても受け取れないこともあるから。

 

周りの人に色々訊いてみても、サクッと答えられる人は今の所一人もいない

  「全て満たされていると仮定して、さらに嬉しいのは?

     そう条件づけると、これと…これかなぁとやっと出てくる

 

私も母も、かなり不器用

すぐにパッとは浮かばなかった5つのタイプですが

今回、救援物資を見ながら

 

母は「やってあげる」ことが好きだよねーと改めて思うのです。

(近すぎてわかりにくかったけど)

救援物資は、一見「贈り物」のようだけど

私のためにしてあげられることを、(今回は)モノを使って表現した。ということだと思うから。

 

そういえば、以前甥っ子の野球関係のお母さん方が母の繕い物を褒めているのを目にした時、喜ばれている母がとても嬉しそうで大層驚いた。

どういうことかと訊いてみると

野球少年たちの母たちの悩みというのは、色々共有されているらしく

繕い物に関しては私の母が一役買っているらしい

穴の空いた靴に当て布をして繕うにも、新しく硬い布では足が痛くなったり動かしづらかったりするので、ジーンズなどの丈夫な古着を当てるのだそうだ。これが良い塩梅らしく、子供達も嫌がったりせず、甥っ子も穴の空いた靴を持って『ばぁちゃんお願いー』ってくるらしい。使う子の気持ちになって自分なりに工夫しているところが母らしい。お母さん すごーい!

 

私、繕い物はありがたーくお願いしておりますが

母の過剰な世話は煙たがります…

私、一緒に過ごす時間を充実させたくて色々やりますが

母にスルーされます

 

母は、サービス(奉仕)で愛情を示し(多分)言葉で受け取りたい。

私は、一緒にいる時間や触れて愛情を得ようとする、感情認識と言語化は苦手。

 

お互いにタイプが違うために、すれ違う愛情。

愛されてない前提で接するので、嫌なトコロばかりが目につく悪循環。

境界線の侵害による悪化。

 

私の心に思い描く母はいつも心配してる。

そして心配故に、怒っている。

心配しすぎ故に、直視できずスルーする。

 

「愛されてない」色のついた眼鏡を外せば

元来の、無邪気で可愛らしい母がいるのです。

(家の中ではなかなか見られない。ざんねん)

 

 

すれ違って、余計なものがくっついて

更に色眼鏡越しにみていた母に対する

母(という存在) = 不幸 という思い込み
私が幸せを選ばないのはお母さんのせいだ!という潜在的な復讐心

 

私にも母にも駄目なところはある

お互いさまではあるけれど

 

問題もまたお互いのもの

入り込ませないし入り込まない

 

 

母 ≠ 私 母=母 私=私 

そこに幸せも不幸も関連しない

 

母幸せ = 娘幸せ がいい。

今、そこにとても近いところに来られている気がします。

 

心に浮かぶ母の待ち受けは

眉間にしわ寄せた心配そうな顔をやめ

無邪気に笑うカワイイ母に変更します

 

お母さん ずいぶんかかりましたが

やっと愛情受け取ったよ。

PRIERE