自分記録帖

自分に戻る、自分を生きると決めた私の記録帖です。

ここは私の居場所じゃない 境界性人格障害からの回復」

借りっぱなし置きっ放しの本
手にとって(細かな描写は吹っ飛ばし)数時間で読了。

 

恐らく、数日前に読んでも全然解らなかったと思うから

このタイミングでこの本が家にある

(自分で借りていたにもかかわらず)

タイミングの妙を思います。

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 統合失調やら境界性人格障害やら憑依やら

あれやこれやあるだろうけど

コレ!といったステレオタイプのものがあるわけではないのだな

 

程度も症例も多岐にわたり

人によって現れ方は様々なことが 今はよーく解る

コレに当てはまるから、当てはまらないからという判断や病名をつけることには意味がないことです。私には。(意味がある人もいます)

 


本来で在ることが、難しい。

どうやら本来でいないことは分かる。
という漠然とした 私じゃない感でい続けることは 苦しいこと。

 

誰からも本来でいさせてもらえない苦しみ、理解されない悲しみ、表現できない苛立ちが

怒りとして表に出る。

時に攻撃的に(他者に向くとは限らない)

 

 

その状態が「通常」である者に

体感したことがない「本来の状態」を説明することは困難

自覚させることも困難

苦しいことが通常だから苦しいことになかなか気がつけないのよ。

自覚出来ても判っても、「解る」は、より困難。

 

なのに やっぱり どうしても

本来になる、戻るには「自分」を体感すること以外にないというのは…。苦しいよね。

 

いちいち育てて行くしかない感覚は、この渦中にいる者に絶望を感じさせるくらい困難。かも。

 

 

この困難を越えられた私は本当に恵まれている。

この本の主人公も。

 

良い医者

良いカウンセラーの出逢いは

至宝の機会。

 

「自分」で在れることが

どれほど伸びやかでいられることか。

 

世の誰もが「自分」で在れるなら

世界は平和になるだろうな。

 

「サバイバー」と呼ばれることがあるけれど

的を射ている表現だと思う

何処から?誰から?誰それ何処に要因はあるしフォーカスしてしまいがちだけど

問題はそこじゃない。

 

感受性を守る環境が整わない中で生き抜いた=サバイバー

かなーって考えます。

 

環境がなかったのは残念なこと。

でも周囲が悪とは限らない。

わかりやすい悪がないことで苦しい人も大勢いるからね。

ameblo.jp

 

ここは私の居場所じゃない―境界性人格障害からの回復

ここは私の居場所じゃない―境界性人格障害からの回復

 

 

 

PRIERE